2017年02月19日
公設市場サミット「市場の10年後を考える」(第9回マチグヮー楽会企画)
第9回マチグヮー楽会企画
公設市場サミット「市場の10年後を考える」

日時:平成29年2月19日 13:00〜15:30
会場:第一牧志公設市場2階
司会:清水敦史、小松かおり
ゲスト:
知念正作さん(もとぶ町営市場/もとぶマーケット通り通り会会長)
上原新吾さん(糸満市中央市場商店会 会長)
粟国智光さん(那覇市第一牧志公設市場組合長)
司会:マチグヮー楽会、二日目ですが、公設市場サミット「市場の10年後を考える」というテーマで開催します。運営委員長の小松さん挨拶よろしくお願いします。
小松:昨日は、まちあるきで農連周辺をまわり、その後、粟国組合長のライフヒストリーを聞きながら、市場ってどういう存在なのかを考えました。今日は、公設市場サミットということで、市場の未来を議論していきたいと思います。この間、牧志公設市場の建て替えの問題が浮上して、市民にとって市場が「公設」であることの意味とはなんなのか、といった疑問が出てきています。市場の現状、あえて「公設」でやることの意味や市場の未来について、他の市場の方々にも集まっていただき、公設市場の未来を考えられたら面白いのでは、と企画しました。
それでは、各市場の紹介からよろしくお願いします。

公設市場サミット「市場の10年後を考える」

日時:平成29年2月19日 13:00〜15:30
会場:第一牧志公設市場2階
司会:清水敦史、小松かおり
ゲスト:
知念正作さん(もとぶ町営市場/もとぶマーケット通り通り会会長)
上原新吾さん(糸満市中央市場商店会 会長)
粟国智光さん(那覇市第一牧志公設市場組合長)
司会:マチグヮー楽会、二日目ですが、公設市場サミット「市場の10年後を考える」というテーマで開催します。運営委員長の小松さん挨拶よろしくお願いします。
小松:昨日は、まちあるきで農連周辺をまわり、その後、粟国組合長のライフヒストリーを聞きながら、市場ってどういう存在なのかを考えました。今日は、公設市場サミットということで、市場の未来を議論していきたいと思います。この間、牧志公設市場の建て替えの問題が浮上して、市民にとって市場が「公設」であることの意味とはなんなのか、といった疑問が出てきています。市場の現状、あえて「公設」でやることの意味や市場の未来について、他の市場の方々にも集まっていただき、公設市場の未来を考えられたら面白いのでは、と企画しました。
それでは、各市場の紹介からよろしくお願いします。

各市場の紹介

上原さん:糸満市中央市場商店会の会長をしている上原です。糸満は、旧暦文化が残っている海人(うみんちゅ)のマチです。店舗ですが、半野外になっている店舗と、中に入っている市場で、周辺にも波及していて(精肉・鮮魚も)、合計47店舗あります。市場は、戦後すぐ、商売を始めた人たちがつくったもので、三角ヤードというのが残っています。現在は、その一角を活用して、「ちむちむ市場」という手作り市を開催しています。わたしはシーサーなどを販売する雑貨屋をやっています。
旧暦に合わせて、糸満ハーレーや大綱ひきなどの時には、空いているスペースを「ゆくいどころ」(休憩所)を提供したり、市場の刺身などを出したりしています。旧正前には、野菜のつめ放題や民謡ショーなどを行いつつですね。会長として6年目ですね、「ちむちむ市場」も6年になります。

粟国さん:第一公設市場組合長の粟国です。牧志公設市場の歴史ですが、開設67年近くなります。那覇は、戦後、開南あたりを中心に闇市が形成され、それを当時の那覇市が、衛生問題や露天の闇市を解消するために現在の場所に牧志公設市場を開設しました。ピーク時は、那覇には9カ所の公設市場があったそうです。市営住宅と併設された市場が7ヵ所あり、それに加えて、牧志公設市場・衣料部・雑貨部があるというかたちでした。現在では、牧志公設市場・衣料部・雑貨部が、自主的に運営されています。
ピーク時には400事業者が入っていました。1コマで区切って、配置して、小さな事業者が商売をしていました。公設市場の特徴は、2.2平米という小さなコマのなかで、1〜2人が商売をしていたという地域密着型の市場というところですね。さきほど正月の風景が写真で映されていましたが、人とモノの出会いの場としての市場ですね、現在も130あまりの事業者でその雰囲気を継承しています。
ただ、この建物が1972年のものなので、老朽化が問題となっており、建て替えが議論されています。そこで問題となっているのは、この市場の形態を維持できるのか、また、どれぐらいの事業者が残るのか、新規の事業者が商売をできるのか、といった点ですね。そのなかで、わたしが重視したいのは、那覇の「ウフマチ(大市)」を再構築することが、公設市場の役割ではないかと。第1回マチグヮー楽会で講演してくださった崎間麗進先生が、ここはマチグヮー(小さな市)ではない、ウフマチ(大市)だ、とおっしゃっていました。そのあたりを、他の市場の方も含めて議論してみたいですね。

知念さん:本部から来ました知念と言います。歴史的には、新聞記事で、明治30年代に火事があったと報道されていたので、その時期には既にあったと。市場は、渡久口の港の周辺から栄えてきて、自然発生的に出てきたものですね。戦後復興の時期、闇市として成立して、地域の人たちの生活を支えていました。売っているものとしては、海産物が多くて、近隣の人が野菜を持ってきて、あと衣料品ですね。漁港だけでなくて、離島航路の発着場所でもあって昔は賑わっていましたが、スーパーが進出してくるなかで、お客さんも減少し、空き店舗も増えてシャッター通りになっていました。
自分が関わるようになった10年前には、半分がシャッターを下ろしていました。どうにかしてその現状を変えようと、「もとぶ手作り市」を開催するようになりました。面白さを創出しようと。もう10年になります。あと、7年前ぐらいから、役場とも話をしながら新規募集を再開しました。募集をかけたら、新しく始めたいという人はいまして、入れ替わりはありながらも、空き店舗はほとんどない状況になっています。新しいお店は、手作りの雑貨屋さんやコーヒー屋さんなど、これまでになかった業種や、昔ながらの刺身屋さんなど。建物としては老朽化も進んできていて、道路拡張で、有名な刺身屋さんが並んでいるところが立て替えなのか、リノベーションなのか、考えないといけない状況ではあります。
市場の明るい面と大変な面は?
司会:ここからは、トークに入っていきたいと思います。最初に二つの質問に応えてもらうかたちで進めます。テーマは、市場の明るい面と大変な面はどんなところにありますか?というのが一つ目、もう一つが、いま公設市場であることの意味とはどのようなものか?というものです。よろしくお願いします。

上原さん:明るい面としては、マチグヮー共通していると思いますが、シーブン(サービス)がある。物はあげられないけど、カチャーシーがシーブンだよという事業者さんもある。90歳のおばあさんが、1日も休まずに営業している店舗もあります。ただ、事業主の高齢化も進んでいますし、建物の老朽化で、5年ほど建て替え問題で議論しています。
知念さん:明るい面は、どローカルなふれあいができることですかね。海外からのお客さんも増えてきて、街を散策して、ぶらっと入ってきたらゆんたくできたと喜んでくれることも。こういった体験はスーパーではできないものだと思いますし、商品量では負けるかもしれませんが、場としての楽しさでは負けていないと思います。あと、小さな市場なのでまとまりやすい部分もありますね。
大変な面は、だれが何を言っているかがすぐ分かってしまうことですね。顔が見えるので。まとまりやすい場合もあれば、そうでない場合もあります。あと、出店のしやすさの反面で、商売を長く続けられるかという面ではなかなか難しいですね。
粟国さん:他の市場と共通部分もありますが、個性のある商売人が集積しているということですね。昔ながらの店舗を継続しつつも、建て替え問題のなかでも新規募集に応募してくる人も多いので、これまで市場に無かったような業種も出てきています。ジャム屋さんやジェラート屋さんなども最近ですね。あと一つは、10年ぐらい前までは修学旅行の生徒が市場体験に来ていましたが、最近では、那覇市や沖縄県内の小中学校から市場体験に来るようになっていますね。次の世代の子どもたちが公設市場に興味を持つようになってきているのは、明るい面かなと。
一方で、苦しい面としてはですね、130業者がいて、業種も様々で、まとまるのは難しいですね。再整備の時に、「まとめなさい、まとめなさい」と言われましたが、強制的にまとめることはしないですね。変な意味でまとめたら反作用もあるので。それよりはゆるやかに「いい塩梅」を探りながら。ただ、そこに辿り着くのは苦労しますが。人やモノもそうですが、個性がある場所なので、多様な人たちがいることを大切にしたいですね。ただ、まとめるのは難しいですね。
いま、あらためて市場の役割を考える
司会:市場の役割という大きなテーマに入る前に、ルーツや売り上げなどの基本情報の確認をしておきましょうかね。
上原さん:戦後すぐですが、海が近かったので、漁港から水揚げした海産物を売っていました。女性が中心でしたので、あんまー市場と呼ばれていました。男は漁に行くという分担で、安定した市場となっていました。
糸満はリゾートホテルの建設で、アジア圏の観光客も来ていますね。迷ったような感じで、入ってくるような観光客ですね。「漁港があるな、ここ入ってみよう」というようなかたちで、来られる観光客もいますね。海外の方や、ファミリー層ですね。
知念さん:糸満と同じく港町ですね。渡久口漁港の発展と合わせて市場が形成されたというかたちで。カツオの漁が明治あたりに行われるなかで、人が集まり始めた場所ですね。いまは、船は2隻だけということで、復活して2隻なので、当時に比べると半分以下ですね。
ここ2〜3年でインバウンドのお客さんは増えてきていますね。台湾、中国、韓国が多くて。売り上げも横ばい。店舗の新陳代謝も進んできていますね。エリア分けはないんですが、衣料品、精肉、鮮魚が中心でしたが、衣料の方が、事業者の高齢化とお客さんの高齢化のダブルパンチで厳しい状況ですね。そのかわりに、飲食や、手作りの雑貨系、お土産系などが増えていますね。これまでの市場になかったような業種も含めてですね。
粟国さん:東町の頃のかたち、グループ(ブロック)形態を維持しながら、イユマチ(魚市)、シシマチ(肉市)などですね。あと、6〜7割方は、家族での経営形態ですね、これも維持されていますね。昔とこれはかわっていませんね。売り上げは、外国人など観光関連は伸びているが、地元向けは厳しいですね。マチグヮーエリア全体でもそうですが、二極化が進んできているのではと思います。地元と観光の割合は、平日で7(観光):3(地元)ぐらい、1割強ぐらいは外国人、特にアジア圏からの観光客ですね。鮮魚では、外国人の利用率は高まっていますね。
司会:それでは、大きなテーマですが、公設市場の役割について入っていきましょうか。
粟国さん:本当にこれは難しいですね。公設市場の元々の意味合いは、地域の住民、市民、県民に、一般食料品を安定供給するというものですね。そのような意味合いで、「市民の台所」という呼び方で、1990年代ぐらいまではきていました。役割が変わってきたのは、周辺にスーパーなど大型店舗やコンビニもできて、消費・物流は大きく変化してきている。他の市場も共通だと思いますが、役割ってなんなのと聞かれると、答えにくい面はありますね。
そのなかで、沖縄独特の食文化の担い手という面と、マチの拠点施設というのが現在の役割なのかなと思っています。じゃあ、食文化を誰が伝えるのかというと、市場の場合は、それぞれの店舗に得意分野があって、生の情報を伝えることができるわけですね。「この料理なら、この肉がいいよ」といった伝え方ですね。糸満の方はどうですか?
上原さん:食文化でいうと、市場だと、処理の方法がスーパーと違うんだよ、売り方も違うんだよと。ただ、買物の仕方が分からない主婦層が出てきていて、「一斤」と言われてもどれくらいの分量かピンとこないんですね。それで、いま、精肉や鮮魚の人たちとも対応を考えているところです。
文化の継承という面では、公設市場には、年配の方だけでなく、子どもも多く来るんですね。スーパーと違って、ここには、人と人との距離が近い、近い距離で話せるという特徴があるし、商売のしやすさや継続のなかで、それが伝わっていくのではと思っています。
知念さん:本部は食文化でいうとカツオですね。来たら刺身が食べられるという期待もあると思います。あと、公設市場の役割としては、町内で仕事をできる場所、選択肢をつくっているという面もあります。市場には子どもたちも集まっているんですが、そこでの仕事を身近に見ていて「こういった仕事をしていいだ」「こういうお店を始めていいんだ」というモデルにもなっているのではと。自分で釣った魚を売ってもいいんだという形で、仕事を提供する場所としての公設市場ですね。敷居も低いし、家賃も安いので。こういった、子どもたちの職業観をつくり出す役割もあると思います。
司会:話を聞いていて、買う人間にとっての「公設」の意味と、働く人間にとっての「公設」の意味の両方があると思ったのですが。糸満と本部では触れられていましたが、粟国さんは、働く人間にとっての「公設」の意味についてどう思われますか?
粟国さん:沖縄の生活の場を体現しているのが、那覇の公設市場だと思います。全国的に、公設市場は縮小傾向にあるんですが、沖縄では公設市場が元気で、生活の場として残っているんですね。あと、市場は、今後、沖縄型の交流の場になっていくのではないか、相対(あいたい)売りなどを通してですね。その交流のなかで、文化を継承する場になるのではと思っています。
司会:これから、「公設市場とはなにか」「10年後にどのような公設市場になっているか」「わたしたちに何ができるか」というテーマで、3〜4人のグループディスカッションを行います。その前に、市場を研究されてきた岩本先生から、「公設」というテーマについて解説をしてもらいます。

岩本由輝先生(東北学院大学名誉教授):沖縄に来たのは、1991年ですね。八重山の村落調査に入って後、那覇に滞在してこれは面白いと関わるようになりました。那覇の公設市場は、国が強制的につくり上げたものでないからこそ、長く残ってきた面がありますね。そこでは、地域の人びとの生活に密着したものかどうかが重要で、建物だけ立派にしても、うまくいくわけではない。
元々、公設市場は、戦前、物価統制のために国策的につくられたんですが、沖縄では価格統制できるような場ではありませんでした。そして、沖縄戦の後は、闇市としてスタートしたので、戦前のあり方を引き継ぐといっても、独特なかたちで発展してきました。10年後は予測しがたいですが、どのような形態になっても那覇の「公設市場的なもの」は残っていくでしょうし、それを支えている住民もいる。バリやタイの市場にも行ったが、何が売られているのかをみてみると国際的にも共通していますね。
那覇の公設市場というのは、国や行政が制度としてつくったからあるのではなく、人びとの生活や文化として残ってきているわけです。
<グループディスカッション>



グループディスカッションでの議論の共有
居場所としてのマチグヮー/消費世代の捉え方/文化継承(Aグループ)
このグループでは、主に糸満の上原さんの話をうかがいながら、市場の今後について考えました。そのなかで、いろいろと発見もありました。まず、市場には、子どもがたくさんやってくるということですね。深く聞いてみると、子どもたちの居場所が街の中になくなってきていることがあるようなのですが、マチグヮーには信頼できる大人がいると。もう一つは、スーパーには行ってはだめという空気があるという話もありました。このあたりは那覇とは違うところですね。子どもたちに対しては、マチグヮーの方から積極的に働きかけているわけではなくて、市場に来た子どもたちを受け入れているというかたちだそうです。小学校3年生から中学校2年生ぐらいまでで、市場を卒業するとカフェに行くようになるようです。
高齢者の方たちは、ゆんたく市場ということで、いまも集まっています。以前は、病院にかかって後に市場に来るという流れでしたが、現在、デイサービスで自宅に迎えがくるためその流れは無くなっているそうです。子どもたちとは逆で、高齢者への働きかけは、自治会や公民館を通じて行っているそうですが、なかなか難しい面も。ただ、糸満の市場には「ノスタルジックなよさ」があるということで、それを求め、居場所として訪れる方はいるようです。
今の消費世代は、ファーマーズ(マーケット)に行く人が多く、「市場と言えばファーマーズ」という認識ですね。マチグヮーってまだあるのと。ただ、実際には、価格も割安で、加工品なども置いていることから、市場の価格面や質の面でのよさを、情報として発信していくことも市場の役割としてあるのかなと。
あと、糸満は魚のマチというイメージが強いですが、実は、ファッションのマチでもあったんですね。糸満は「上等ブランド」だった。そういった誇りもあり、規模は大きくないですが、いまも健康づくりや、元気につながるという居場所として衣料品の店もあるということです。
(10年後のマチグヮーについて)平成31年(2019年)ぐらいから建て替えが始まる計画で、10年後には、今の形態ではないという状況ですね、糸満は。複合施設のようなものになるのではないかと言われているようです。次世代に引き継いでいる事業者さんは少ないようで、新しい建物になった時に、新規の事業者さんや、新しい業態が増えるのではないかと。あと、糸満は旧暦文化が残っており、年中行事の時は非常に盛り上がるのですが、こういった文化を引き継いでいく役割はいっそう大きくなると思います。
あくまでも地元目線で/地域の市場が観光客をひきつける(Bグループ)
このグループは移住してきた人も多く参加していて、観光客の目線も持ち合わせていたので、そのような視点からお話をしました。以前わたしも観光客だったのですが、観光客は、最初は国際通りで遊んでいるんですが、感度が上がってくると栄町市場だとか、公設市場に足を運ぶんですね。要するに、昔からあったものに魅かれるようになっていくんです。市場の役割として、まずは市場の人たちが働きやすい場所、土地のものを地元の人たちが安心して食べられる場所というのを大切にして欲しいですね。観光というのは、それがあった上での、後づけ的なものだと思います。観光客が来るというのを見込んでハコを建ててしまうと、観光客が減った時に「なぜこんなものをつくったんだ」という話になる。なので、観光客ではなく地元の人を大切にと。ショッピングモールやスーパーに行く地元の人も多いですが、安心して来られる場所として、お子さん連れなどに優しいようにつくることも必要だと思います。あと、萩の事例で、観光客を入れない市場もあって、それでも収益が出ているという話もありました。
10年後の公設市場ですが、粟国さんの「ウフマチ(大市)」構想というのはすばらしいなと思っています。市場があることによって、小規模事業者の広がりが出てくるということですね。あと、公設市場があって、農連市場があってと、市場が起点にして商店街でつながっていくというのは面白い形態だなと。世界的にも珍しい、面白いものになるのではないでしょうか。観光客の方も、ずっと昔からここにあったということにロマンを感じているので、コロコロと変えるのではなくずっと同じ場所で続けていって欲しいです。
放っておいたらなくなるものを守る場所/売り手も買い手も共に育つ場所(Cグループ)
このグループは、行政の職員も混じっていたり、市場で料理のお勉強をされている方もいて、バラエティーに富んでいました。市場の今後を考えたとき、買い手にとっての市場というだけでは難しいかもねということで、働いている人たちにとっての市場ってなんだろう、ということを話しました。働いている人たちがいて、家族がいて生活をして、しかも、働きがいをもって働いていくことですね。あと、公設の意味として、放っておいたらなくなってしまうようなものを、守っていく場所としての意味ですね。人とのつながりや食文化などを守っていく役割も、公設の市場にはあるのではないかと。子どもたちが訪れるという話がありましたが、教育的な面からみても、おじいさんおばあさん世代が元気になれる場所、福祉という面からみても、重要な場と思います。こういった役割は、土地も建物も民営で担っていくのは難しいのでは。あと、商売の継続性は大事ですが、敷居が低く、簡単に商売を始められる面もあるので、売る方の文化も育てていかないといけない、という話も出ました。観光客向けの値段設定をして、地元の人の目線でないようなお店も出てきているということで。
市場という場所が、マチの中心になって欲しいなと。そのために、いま、足りないもの、不十分なものをみんなで補っていく。周辺より少し高くても、「いいものが置いてあって」「いい商売人がいて」「いいお客さんがいる」というような場所になって欲しいという話になりました。
グループ報告を受けてのコメントと全体のまとめ
司会:グループ、発表ありがとうございます。お三方に、ディスカッションでの議論にコメントをしてもらいたいと思います。展望が見えてきたところもあるでしょうし、そのあたりなど。
上原さん:一つ言えることは、市場同士がつながることが大切だということですね。以前ならありえなかった。南部から、北部までの市場のかけ橋になるなと。あと、人が足を運べる場所になっている、これは10年後も変わらない。商売の形態は、変わらないものと、変わっていくものとがあって、見えないところもありますが、文化の継承の場になっていくという面では変わってはいかないだろうなと。建物は建て替えられてもですね。ソフト面というのはとても大事だなと。
知念さん:「公設市場の役割、意義ってなんですか」ということ自体を考えたことがなかったですね。なので、少し難しかったですが、公設市場である意味について、「商売しやすい、起業しやすい」ということから考え始めていって、「働きやすい場所」である、そして、そこに来る子どもたちにとって、親や大人の仕事を目にすることで、将来は刺身屋になろうかなと、そういったイメージをもてるような場所ではないかなと。そこから発展していって、市場では、ものを売っているだけではなくて、暮らしや生活などから文化的なものが派生していって、「自分たちのマチは面白いな、楽しいな」という魅力が出てくるのだと思います。その魅力があってこそ、観光客がくる。
人びとが生活するなかで、市場的なものは無くならないと思いますが、公設市場がどうなっていくかは分からないところがありますね。
粟国さん:公設市場というのは、地域によって場の考え方が異なっていると思います。本部は本部、糸満は糸満、那覇は那覇のなかでの市場の場としての役割がある。じゃあ、この場が10年後にあるかという時に、心配なのは人なんですね。ここに人が集まるのか、商売している人がいるのか(継承されるのか)、ということですね。そこが心配です。
今後、公設市場は、沖縄らしい場の発信拠点になっていくと思っていますが、その際に、エリアとしてのビジョンが大切ではないかと考えています。復帰前の改築の際に、当時の那覇市長の平良良松さんが「公設市場周辺調査報告書」を出しているんですが、これは「大マチ」構想なんですね。この報告書は、改築をきっかけにして「大マチ」の再構築を議論してもらいたいというものなんですね。今の議論とも類似しているんですね。再開発、保全、修復とか、公設市場のコンセプト、何を売るかも含めて。市場の建物だけではなくて、エリア論として考えているんですね。ここに人が集まって、商売をする、それが観光につながっていく、というシナリオを考えていく。エリア的な発想のなかで考えていけば、他の地域の市場も魅力ある場所になっていくのではないかと思います。建物だけではなくて、魅力を発信できるエリアとしてですね、考えていきたいなと。
(質問)スーパーの市場化が進んでいるという面や、行事も簡素化されているなかで、市場ではどう取り組まれていますか。
上原さん:市場の商売人は、買いに来る人は行事の事が分かっているものだと思って対応している。ただ、何を準備したらいいのか分からない人向けに、役員などが間に入るなど工夫を考えています。精肉や鮮魚の商売人の方たちなどとですね。
知念さん:文化ですね。文化というのは生きているものだと思います。死にゆく文化というのもあるし、新しく生み出されているものもある。文化の継承という面では、行事行事の情報の発信ですね、行事の話を面白く伝えたりということはしています。新しく生み出していく方に力を入れたいと。
粟国さん:組合の広報担当をしていましたが、市場を「見せる」化の大切さですね。肉のさばき方、加工の仕方など特色を「見せる」化していくことで、手間ひまかけて美味しいものをつくっているというのを知らせていく。こういったなかで魅力が伝わっていく。そのための情報発信を強めていこうと。あと、大学生や年配の方々など、市場の魅力を伝える学芸員も必要ではないかと思っています。
司会:長い時間、ありがとうございました。今後を考える「糧」をもって帰ってもらえればと思います。

報告概要の作成:秋山道宏(運営委員)






上原さん:糸満市中央市場商店会の会長をしている上原です。糸満は、旧暦文化が残っている海人(うみんちゅ)のマチです。店舗ですが、半野外になっている店舗と、中に入っている市場で、周辺にも波及していて(精肉・鮮魚も)、合計47店舗あります。市場は、戦後すぐ、商売を始めた人たちがつくったもので、三角ヤードというのが残っています。現在は、その一角を活用して、「ちむちむ市場」という手作り市を開催しています。わたしはシーサーなどを販売する雑貨屋をやっています。
旧暦に合わせて、糸満ハーレーや大綱ひきなどの時には、空いているスペースを「ゆくいどころ」(休憩所)を提供したり、市場の刺身などを出したりしています。旧正前には、野菜のつめ放題や民謡ショーなどを行いつつですね。会長として6年目ですね、「ちむちむ市場」も6年になります。

粟国さん:第一公設市場組合長の粟国です。牧志公設市場の歴史ですが、開設67年近くなります。那覇は、戦後、開南あたりを中心に闇市が形成され、それを当時の那覇市が、衛生問題や露天の闇市を解消するために現在の場所に牧志公設市場を開設しました。ピーク時は、那覇には9カ所の公設市場があったそうです。市営住宅と併設された市場が7ヵ所あり、それに加えて、牧志公設市場・衣料部・雑貨部があるというかたちでした。現在では、牧志公設市場・衣料部・雑貨部が、自主的に運営されています。
ピーク時には400事業者が入っていました。1コマで区切って、配置して、小さな事業者が商売をしていました。公設市場の特徴は、2.2平米という小さなコマのなかで、1〜2人が商売をしていたという地域密着型の市場というところですね。さきほど正月の風景が写真で映されていましたが、人とモノの出会いの場としての市場ですね、現在も130あまりの事業者でその雰囲気を継承しています。
ただ、この建物が1972年のものなので、老朽化が問題となっており、建て替えが議論されています。そこで問題となっているのは、この市場の形態を維持できるのか、また、どれぐらいの事業者が残るのか、新規の事業者が商売をできるのか、といった点ですね。そのなかで、わたしが重視したいのは、那覇の「ウフマチ(大市)」を再構築することが、公設市場の役割ではないかと。第1回マチグヮー楽会で講演してくださった崎間麗進先生が、ここはマチグヮー(小さな市)ではない、ウフマチ(大市)だ、とおっしゃっていました。そのあたりを、他の市場の方も含めて議論してみたいですね。

知念さん:本部から来ました知念と言います。歴史的には、新聞記事で、明治30年代に火事があったと報道されていたので、その時期には既にあったと。市場は、渡久口の港の周辺から栄えてきて、自然発生的に出てきたものですね。戦後復興の時期、闇市として成立して、地域の人たちの生活を支えていました。売っているものとしては、海産物が多くて、近隣の人が野菜を持ってきて、あと衣料品ですね。漁港だけでなくて、離島航路の発着場所でもあって昔は賑わっていましたが、スーパーが進出してくるなかで、お客さんも減少し、空き店舗も増えてシャッター通りになっていました。
自分が関わるようになった10年前には、半分がシャッターを下ろしていました。どうにかしてその現状を変えようと、「もとぶ手作り市」を開催するようになりました。面白さを創出しようと。もう10年になります。あと、7年前ぐらいから、役場とも話をしながら新規募集を再開しました。募集をかけたら、新しく始めたいという人はいまして、入れ替わりはありながらも、空き店舗はほとんどない状況になっています。新しいお店は、手作りの雑貨屋さんやコーヒー屋さんなど、これまでになかった業種や、昔ながらの刺身屋さんなど。建物としては老朽化も進んできていて、道路拡張で、有名な刺身屋さんが並んでいるところが立て替えなのか、リノベーションなのか、考えないといけない状況ではあります。
市場の明るい面と大変な面は?
司会:ここからは、トークに入っていきたいと思います。最初に二つの質問に応えてもらうかたちで進めます。テーマは、市場の明るい面と大変な面はどんなところにありますか?というのが一つ目、もう一つが、いま公設市場であることの意味とはどのようなものか?というものです。よろしくお願いします。
上原さん:明るい面としては、マチグヮー共通していると思いますが、シーブン(サービス)がある。物はあげられないけど、カチャーシーがシーブンだよという事業者さんもある。90歳のおばあさんが、1日も休まずに営業している店舗もあります。ただ、事業主の高齢化も進んでいますし、建物の老朽化で、5年ほど建て替え問題で議論しています。
知念さん:明るい面は、どローカルなふれあいができることですかね。海外からのお客さんも増えてきて、街を散策して、ぶらっと入ってきたらゆんたくできたと喜んでくれることも。こういった体験はスーパーではできないものだと思いますし、商品量では負けるかもしれませんが、場としての楽しさでは負けていないと思います。あと、小さな市場なのでまとまりやすい部分もありますね。
大変な面は、だれが何を言っているかがすぐ分かってしまうことですね。顔が見えるので。まとまりやすい場合もあれば、そうでない場合もあります。あと、出店のしやすさの反面で、商売を長く続けられるかという面ではなかなか難しいですね。
粟国さん:他の市場と共通部分もありますが、個性のある商売人が集積しているということですね。昔ながらの店舗を継続しつつも、建て替え問題のなかでも新規募集に応募してくる人も多いので、これまで市場に無かったような業種も出てきています。ジャム屋さんやジェラート屋さんなども最近ですね。あと一つは、10年ぐらい前までは修学旅行の生徒が市場体験に来ていましたが、最近では、那覇市や沖縄県内の小中学校から市場体験に来るようになっていますね。次の世代の子どもたちが公設市場に興味を持つようになってきているのは、明るい面かなと。
一方で、苦しい面としてはですね、130業者がいて、業種も様々で、まとまるのは難しいですね。再整備の時に、「まとめなさい、まとめなさい」と言われましたが、強制的にまとめることはしないですね。変な意味でまとめたら反作用もあるので。それよりはゆるやかに「いい塩梅」を探りながら。ただ、そこに辿り着くのは苦労しますが。人やモノもそうですが、個性がある場所なので、多様な人たちがいることを大切にしたいですね。ただ、まとめるのは難しいですね。
いま、あらためて市場の役割を考える
司会:市場の役割という大きなテーマに入る前に、ルーツや売り上げなどの基本情報の確認をしておきましょうかね。
上原さん:戦後すぐですが、海が近かったので、漁港から水揚げした海産物を売っていました。女性が中心でしたので、あんまー市場と呼ばれていました。男は漁に行くという分担で、安定した市場となっていました。
糸満はリゾートホテルの建設で、アジア圏の観光客も来ていますね。迷ったような感じで、入ってくるような観光客ですね。「漁港があるな、ここ入ってみよう」というようなかたちで、来られる観光客もいますね。海外の方や、ファミリー層ですね。
知念さん:糸満と同じく港町ですね。渡久口漁港の発展と合わせて市場が形成されたというかたちで。カツオの漁が明治あたりに行われるなかで、人が集まり始めた場所ですね。いまは、船は2隻だけということで、復活して2隻なので、当時に比べると半分以下ですね。
ここ2〜3年でインバウンドのお客さんは増えてきていますね。台湾、中国、韓国が多くて。売り上げも横ばい。店舗の新陳代謝も進んできていますね。エリア分けはないんですが、衣料品、精肉、鮮魚が中心でしたが、衣料の方が、事業者の高齢化とお客さんの高齢化のダブルパンチで厳しい状況ですね。そのかわりに、飲食や、手作りの雑貨系、お土産系などが増えていますね。これまでの市場になかったような業種も含めてですね。
粟国さん:東町の頃のかたち、グループ(ブロック)形態を維持しながら、イユマチ(魚市)、シシマチ(肉市)などですね。あと、6〜7割方は、家族での経営形態ですね、これも維持されていますね。昔とこれはかわっていませんね。売り上げは、外国人など観光関連は伸びているが、地元向けは厳しいですね。マチグヮーエリア全体でもそうですが、二極化が進んできているのではと思います。地元と観光の割合は、平日で7(観光):3(地元)ぐらい、1割強ぐらいは外国人、特にアジア圏からの観光客ですね。鮮魚では、外国人の利用率は高まっていますね。
司会:それでは、大きなテーマですが、公設市場の役割について入っていきましょうか。
粟国さん:本当にこれは難しいですね。公設市場の元々の意味合いは、地域の住民、市民、県民に、一般食料品を安定供給するというものですね。そのような意味合いで、「市民の台所」という呼び方で、1990年代ぐらいまではきていました。役割が変わってきたのは、周辺にスーパーなど大型店舗やコンビニもできて、消費・物流は大きく変化してきている。他の市場も共通だと思いますが、役割ってなんなのと聞かれると、答えにくい面はありますね。
そのなかで、沖縄独特の食文化の担い手という面と、マチの拠点施設というのが現在の役割なのかなと思っています。じゃあ、食文化を誰が伝えるのかというと、市場の場合は、それぞれの店舗に得意分野があって、生の情報を伝えることができるわけですね。「この料理なら、この肉がいいよ」といった伝え方ですね。糸満の方はどうですか?
上原さん:食文化でいうと、市場だと、処理の方法がスーパーと違うんだよ、売り方も違うんだよと。ただ、買物の仕方が分からない主婦層が出てきていて、「一斤」と言われてもどれくらいの分量かピンとこないんですね。それで、いま、精肉や鮮魚の人たちとも対応を考えているところです。
文化の継承という面では、公設市場には、年配の方だけでなく、子どもも多く来るんですね。スーパーと違って、ここには、人と人との距離が近い、近い距離で話せるという特徴があるし、商売のしやすさや継続のなかで、それが伝わっていくのではと思っています。
知念さん:本部は食文化でいうとカツオですね。来たら刺身が食べられるという期待もあると思います。あと、公設市場の役割としては、町内で仕事をできる場所、選択肢をつくっているという面もあります。市場には子どもたちも集まっているんですが、そこでの仕事を身近に見ていて「こういった仕事をしていいだ」「こういうお店を始めていいんだ」というモデルにもなっているのではと。自分で釣った魚を売ってもいいんだという形で、仕事を提供する場所としての公設市場ですね。敷居も低いし、家賃も安いので。こういった、子どもたちの職業観をつくり出す役割もあると思います。
司会:話を聞いていて、買う人間にとっての「公設」の意味と、働く人間にとっての「公設」の意味の両方があると思ったのですが。糸満と本部では触れられていましたが、粟国さんは、働く人間にとっての「公設」の意味についてどう思われますか?
粟国さん:沖縄の生活の場を体現しているのが、那覇の公設市場だと思います。全国的に、公設市場は縮小傾向にあるんですが、沖縄では公設市場が元気で、生活の場として残っているんですね。あと、市場は、今後、沖縄型の交流の場になっていくのではないか、相対(あいたい)売りなどを通してですね。その交流のなかで、文化を継承する場になるのではと思っています。
司会:これから、「公設市場とはなにか」「10年後にどのような公設市場になっているか」「わたしたちに何ができるか」というテーマで、3〜4人のグループディスカッションを行います。その前に、市場を研究されてきた岩本先生から、「公設」というテーマについて解説をしてもらいます。

岩本由輝先生(東北学院大学名誉教授):沖縄に来たのは、1991年ですね。八重山の村落調査に入って後、那覇に滞在してこれは面白いと関わるようになりました。那覇の公設市場は、国が強制的につくり上げたものでないからこそ、長く残ってきた面がありますね。そこでは、地域の人びとの生活に密着したものかどうかが重要で、建物だけ立派にしても、うまくいくわけではない。
元々、公設市場は、戦前、物価統制のために国策的につくられたんですが、沖縄では価格統制できるような場ではありませんでした。そして、沖縄戦の後は、闇市としてスタートしたので、戦前のあり方を引き継ぐといっても、独特なかたちで発展してきました。10年後は予測しがたいですが、どのような形態になっても那覇の「公設市場的なもの」は残っていくでしょうし、それを支えている住民もいる。バリやタイの市場にも行ったが、何が売られているのかをみてみると国際的にも共通していますね。
那覇の公設市場というのは、国や行政が制度としてつくったからあるのではなく、人びとの生活や文化として残ってきているわけです。
<グループディスカッション>


グループディスカッションでの議論の共有
居場所としてのマチグヮー/消費世代の捉え方/文化継承(Aグループ)
このグループでは、主に糸満の上原さんの話をうかがいながら、市場の今後について考えました。そのなかで、いろいろと発見もありました。まず、市場には、子どもがたくさんやってくるということですね。深く聞いてみると、子どもたちの居場所が街の中になくなってきていることがあるようなのですが、マチグヮーには信頼できる大人がいると。もう一つは、スーパーには行ってはだめという空気があるという話もありました。このあたりは那覇とは違うところですね。子どもたちに対しては、マチグヮーの方から積極的に働きかけているわけではなくて、市場に来た子どもたちを受け入れているというかたちだそうです。小学校3年生から中学校2年生ぐらいまでで、市場を卒業するとカフェに行くようになるようです。
高齢者の方たちは、ゆんたく市場ということで、いまも集まっています。以前は、病院にかかって後に市場に来るという流れでしたが、現在、デイサービスで自宅に迎えがくるためその流れは無くなっているそうです。子どもたちとは逆で、高齢者への働きかけは、自治会や公民館を通じて行っているそうですが、なかなか難しい面も。ただ、糸満の市場には「ノスタルジックなよさ」があるということで、それを求め、居場所として訪れる方はいるようです。
今の消費世代は、ファーマーズ(マーケット)に行く人が多く、「市場と言えばファーマーズ」という認識ですね。マチグヮーってまだあるのと。ただ、実際には、価格も割安で、加工品なども置いていることから、市場の価格面や質の面でのよさを、情報として発信していくことも市場の役割としてあるのかなと。
あと、糸満は魚のマチというイメージが強いですが、実は、ファッションのマチでもあったんですね。糸満は「上等ブランド」だった。そういった誇りもあり、規模は大きくないですが、いまも健康づくりや、元気につながるという居場所として衣料品の店もあるということです。
(10年後のマチグヮーについて)平成31年(2019年)ぐらいから建て替えが始まる計画で、10年後には、今の形態ではないという状況ですね、糸満は。複合施設のようなものになるのではないかと言われているようです。次世代に引き継いでいる事業者さんは少ないようで、新しい建物になった時に、新規の事業者さんや、新しい業態が増えるのではないかと。あと、糸満は旧暦文化が残っており、年中行事の時は非常に盛り上がるのですが、こういった文化を引き継いでいく役割はいっそう大きくなると思います。
あくまでも地元目線で/地域の市場が観光客をひきつける(Bグループ)
このグループは移住してきた人も多く参加していて、観光客の目線も持ち合わせていたので、そのような視点からお話をしました。以前わたしも観光客だったのですが、観光客は、最初は国際通りで遊んでいるんですが、感度が上がってくると栄町市場だとか、公設市場に足を運ぶんですね。要するに、昔からあったものに魅かれるようになっていくんです。市場の役割として、まずは市場の人たちが働きやすい場所、土地のものを地元の人たちが安心して食べられる場所というのを大切にして欲しいですね。観光というのは、それがあった上での、後づけ的なものだと思います。観光客が来るというのを見込んでハコを建ててしまうと、観光客が減った時に「なぜこんなものをつくったんだ」という話になる。なので、観光客ではなく地元の人を大切にと。ショッピングモールやスーパーに行く地元の人も多いですが、安心して来られる場所として、お子さん連れなどに優しいようにつくることも必要だと思います。あと、萩の事例で、観光客を入れない市場もあって、それでも収益が出ているという話もありました。
10年後の公設市場ですが、粟国さんの「ウフマチ(大市)」構想というのはすばらしいなと思っています。市場があることによって、小規模事業者の広がりが出てくるということですね。あと、公設市場があって、農連市場があってと、市場が起点にして商店街でつながっていくというのは面白い形態だなと。世界的にも珍しい、面白いものになるのではないでしょうか。観光客の方も、ずっと昔からここにあったということにロマンを感じているので、コロコロと変えるのではなくずっと同じ場所で続けていって欲しいです。
放っておいたらなくなるものを守る場所/売り手も買い手も共に育つ場所(Cグループ)
このグループは、行政の職員も混じっていたり、市場で料理のお勉強をされている方もいて、バラエティーに富んでいました。市場の今後を考えたとき、買い手にとっての市場というだけでは難しいかもねということで、働いている人たちにとっての市場ってなんだろう、ということを話しました。働いている人たちがいて、家族がいて生活をして、しかも、働きがいをもって働いていくことですね。あと、公設の意味として、放っておいたらなくなってしまうようなものを、守っていく場所としての意味ですね。人とのつながりや食文化などを守っていく役割も、公設の市場にはあるのではないかと。子どもたちが訪れるという話がありましたが、教育的な面からみても、おじいさんおばあさん世代が元気になれる場所、福祉という面からみても、重要な場と思います。こういった役割は、土地も建物も民営で担っていくのは難しいのでは。あと、商売の継続性は大事ですが、敷居が低く、簡単に商売を始められる面もあるので、売る方の文化も育てていかないといけない、という話も出ました。観光客向けの値段設定をして、地元の人の目線でないようなお店も出てきているということで。
市場という場所が、マチの中心になって欲しいなと。そのために、いま、足りないもの、不十分なものをみんなで補っていく。周辺より少し高くても、「いいものが置いてあって」「いい商売人がいて」「いいお客さんがいる」というような場所になって欲しいという話になりました。
グループ報告を受けてのコメントと全体のまとめ
司会:グループ、発表ありがとうございます。お三方に、ディスカッションでの議論にコメントをしてもらいたいと思います。展望が見えてきたところもあるでしょうし、そのあたりなど。
上原さん:一つ言えることは、市場同士がつながることが大切だということですね。以前ならありえなかった。南部から、北部までの市場のかけ橋になるなと。あと、人が足を運べる場所になっている、これは10年後も変わらない。商売の形態は、変わらないものと、変わっていくものとがあって、見えないところもありますが、文化の継承の場になっていくという面では変わってはいかないだろうなと。建物は建て替えられてもですね。ソフト面というのはとても大事だなと。
知念さん:「公設市場の役割、意義ってなんですか」ということ自体を考えたことがなかったですね。なので、少し難しかったですが、公設市場である意味について、「商売しやすい、起業しやすい」ということから考え始めていって、「働きやすい場所」である、そして、そこに来る子どもたちにとって、親や大人の仕事を目にすることで、将来は刺身屋になろうかなと、そういったイメージをもてるような場所ではないかなと。そこから発展していって、市場では、ものを売っているだけではなくて、暮らしや生活などから文化的なものが派生していって、「自分たちのマチは面白いな、楽しいな」という魅力が出てくるのだと思います。その魅力があってこそ、観光客がくる。
人びとが生活するなかで、市場的なものは無くならないと思いますが、公設市場がどうなっていくかは分からないところがありますね。
粟国さん:公設市場というのは、地域によって場の考え方が異なっていると思います。本部は本部、糸満は糸満、那覇は那覇のなかでの市場の場としての役割がある。じゃあ、この場が10年後にあるかという時に、心配なのは人なんですね。ここに人が集まるのか、商売している人がいるのか(継承されるのか)、ということですね。そこが心配です。
今後、公設市場は、沖縄らしい場の発信拠点になっていくと思っていますが、その際に、エリアとしてのビジョンが大切ではないかと考えています。復帰前の改築の際に、当時の那覇市長の平良良松さんが「公設市場周辺調査報告書」を出しているんですが、これは「大マチ」構想なんですね。この報告書は、改築をきっかけにして「大マチ」の再構築を議論してもらいたいというものなんですね。今の議論とも類似しているんですね。再開発、保全、修復とか、公設市場のコンセプト、何を売るかも含めて。市場の建物だけではなくて、エリア論として考えているんですね。ここに人が集まって、商売をする、それが観光につながっていく、というシナリオを考えていく。エリア的な発想のなかで考えていけば、他の地域の市場も魅力ある場所になっていくのではないかと思います。建物だけではなくて、魅力を発信できるエリアとしてですね、考えていきたいなと。
(質問)スーパーの市場化が進んでいるという面や、行事も簡素化されているなかで、市場ではどう取り組まれていますか。
上原さん:市場の商売人は、買いに来る人は行事の事が分かっているものだと思って対応している。ただ、何を準備したらいいのか分からない人向けに、役員などが間に入るなど工夫を考えています。精肉や鮮魚の商売人の方たちなどとですね。
知念さん:文化ですね。文化というのは生きているものだと思います。死にゆく文化というのもあるし、新しく生み出されているものもある。文化の継承という面では、行事行事の情報の発信ですね、行事の話を面白く伝えたりということはしています。新しく生み出していく方に力を入れたいと。
粟国さん:組合の広報担当をしていましたが、市場を「見せる」化の大切さですね。肉のさばき方、加工の仕方など特色を「見せる」化していくことで、手間ひまかけて美味しいものをつくっているというのを知らせていく。こういったなかで魅力が伝わっていく。そのための情報発信を強めていこうと。あと、大学生や年配の方々など、市場の魅力を伝える学芸員も必要ではないかと思っています。
司会:長い時間、ありがとうございました。今後を考える「糧」をもって帰ってもらえればと思います。
報告概要の作成:秋山道宏(運営委員)





Posted by まちわく at 21:06│Comments(0)
│第9回マチグヮー楽会